心の中のチェックリスト

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今回も、『あなたの人生の科学』より、書いていきます。

 

 

前回記事は→こちら

 

 

2章 「生活観の違い-結婚とセックス-」

 

p.71

”結婚生活の満足度は、一般にU字型の曲線を描いて変化すると言われる。

はじめのうちは、だいたいどの夫婦もとても幸せに過ごす。

しかし、満足度はその後、低下を始め、子供たちが思春期を迎える頃に最低まで落ち込むことが多い。

その後は、低いままの状態が続き、仕事を引退するくらいの時期に再び上昇を始める。”

 

妙齢の女性にとって、

「結婚=幸せ」

という式は強固なものがあります。

 

その裏には、

「結婚=幸せ」と言っている人が幸せな人で

「結婚≠幸せ」と言う人は幸せでない人、

という印象もあると思われます。

 

また、

「結婚して良かった」や

「今自分が幸せなのは結婚したから」など、

・・・まるで自分に言い聞かせるように・・・

あなたに言ってくる人もいるかもしれません。

 

しかしながら、その人はなぜ、あなたに対して「自分は幸せだ」と主張するのでしょうか。

そこには、実は「自己否定」が存在しています。

 

自己否定があるために、自分の結婚生活を

「他人に認めてもらうための材料」

として、わざわざ振りかざさなければならないのです。

 

 

あまりにも多くの人が、

「結婚したら幸せになれる」

または

「結婚をしていないから幸せでない」

という考えに囚われています。

 

しかし、当然ながら、人の幸せは「結婚」では決まりません。

 

記事冒頭に引用した本著の主張にもあるように、

誰もが手放しで幸せだと感じられるのは、

「結婚した直後」と「老後」だけです。

 

あなたが30歳で結婚したとして、

何の考えも無く「幸せ」と感じられるのは、

32歳頃まで(と65歳頃以降)になるでしょう。

 

 

「誰かと一緒に暮らしを続けるということは、何らかの苦しさを伴う」。

これは、事実です。

 

あなたが周囲の人から結婚を薦められても、

TVのCMで盛んに結婚式を見せられても、

「誰かの幸せ」に「あなたの幸せ」を合わせる必要はありません。

 

 

あなたが未婚で、今の自分が幸せではないと感じるのは、「結婚をしていない」からではありません。

確かに、あなたが結婚をしたら、はじめの3年ほどは高揚した幸せを感じられるでしょう。

しかし、それ以降は再び、今と同じ気持ちを抱えることになります。

 

あなたが既婚で、今の自分が幸せではないと感じるのは、「結婚している」からではありません。

結婚生活を、手放しで幸せだと感じられるのは、はじめのおおよそ3年までです。

それ以降の幸せは、あなたが自分の幸せを自覚することによって、創られます。

 

 

もしあなたが、人を「結婚しているか否か」で判断しているとすれば、それはなぜでしょうか。

「結婚していなければ価値がない」という考えが、本当にあなたの考えなのかは、大いなる疑問です。

あなたが、あなたの親や親族の価値観の通りに生きていきたいならば、そのような考え方でも良いでしょう。

 

 

先にも触れたように、結婚に対する考え方は、自己否定と密接に関係しています。

 

1.既婚=価値?

自分に対して、「結婚しているから価値のある人間だ」と思っているのならば、それは間違いです。

あなたが結婚しているから価値があるのではありません。

そして、結婚していてもしていなくても、あなたの価値は変わりません。

 

2.未婚=無価値?

自分に対して、「結婚すれば価値のある人間とみなされる」と思っているならば、それも間違いです。

あなたが結婚していないから価値がないのではありません。

そして、結婚していてもしていなくても、あなたの価値は変わりません。

 

 

 

 

今あなたが、「そうは言ってもやっぱり結婚は・・・」と思うならば、それはなぜでしょうか。

 

結婚生活において、手放しで幸せと感じられる期間は、ごく僅かな限られた期間です。

あなたの幸せは、あなたが創るものに他なりません。

「結婚=幸せ」という式から離れてみると、自由への扉が見えてきますよ。

 

自由になりたいあなたへ

 

意思決定とは、感情の仕事

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とても面白い本に出会ったので、紹介とともに、ちょっとずつ記事を書いていきたいと思います。

 

ニューヨーク・タイムズのコラムニスト

デイヴィッド・ブルックス(David Brooks)による

『The Social Animal』。

 

本著はアメリカでベストセラーになったそうです。

邦題は『あなたの人生の科学』(早川書房)で、こちらのページ番号で紹介していきます。

 

 

今回は、1章「意思決定-男女の感じ方-」より。

 

p.54

”意思決定は、理性の仕事ではなく、実は感情の仕事なのだ。”

 

私たちは、自分の言動を、理性で判断していると思っていることが多いでしょう。

しかし、実際はそうではありません。

理性的な判断をしたと思っている、その根底には、必ず「感情」があるのだそうです。

 

例えば、あなたがお店で服を選んでいるとします。

素敵な服がパッと目に入ってきて、一瞬で心を奪われ、強く惹かれました。

 

あなたは「この服が欲しい!」という気持ちでいっぱいになるでしょう。

もうこの時点で、買うことは決まっている、と言っても過言ではありません。

 

しかし、私たちには、「理性」という後づけの「理由」を必要とします。

 

~ここからは、「理性」による後づけです~

 

1.服を、鏡の前で合わせてみる。

「似合う」→2.へ進む

「似合わない」→迷う。

 

2.試着してみる。

「サイズもいい感じ」→3.へ進む

「微妙」→迷う。

 

3.値段を見る。

「お手頃」→買う。終了。

「高い」→迷う。

 

私たちは、このようなプロセスで、服を買うかどうかを決めるはずです。

1.~3.まで順当に進めば悩むことはありません。

”迷う”にぶち当たった場合、私たちは頭を抱えます。

 

はじめに思った「欲しい」のとおりに、買うことにするのか。

それとも、頭で考えて、買わないことにするのか。

自分の中に、”2人の自分”がいるように感じることもあるでしょう。

 

しかし、意思決定は「感情」の仕事です。

はじめにもう服を買うことはもう決まっています。

 

~ここからは、”迷い”が生じた時の、「理性」による後づけです~

 

1.で「似合わない」と思った場合

→ メイクを変えたり、他の服とのコーディネートで合わせることを考えるでしょう。

 

2.でサイズが「微妙」と思った場合

→ 痩せることを考えるでしょう。

 

3.で値段が「高い」と思った場合

→ 節約するか、稼ぐことを考えるでしょう。

 

これら、理性による「後づけ」は全て、「その服を買う」ためのものになっています。

「理性」は、私たちの意思決定の「後づけ」をするに留まります。

私たちは、何かを決める時、「感情」を無視することは出来ません。

 

「服を買う」といった日常的なことだけでなく、全てのことに対して、この「感情」が働いています。

仕事や恋愛についても同じことです。

私たちは、「ヤダ」と思うものは排除し、「イイ」と思うものは取り入れて、生きています。

 

 

そして、「ヤダ」も「イイ」も、その時々で変わります。

はじめは楽しいと思っていた仕事が、だんだんつまらなくなることも、あるでしょう。

出会った頃は素敵な人だと思っていたのに、近頃はそう感じられないということもまた、あるでしょう。

 

このような「変化」は、自然なことです。

あなたが、何らかの「変化」を「感じ」たならば、新たな意思決定の時が訪れています。

 

 

さらに、私たちは、「ヤダ」なのか「イイ」なのかも、よく分かっていなかったりします。

「ヤダ」と思っていたものが、何らかの些細なきっかけで「イイ」に変わることも、あるでしょう。

「イイ」と思っていたものが、誰かによって「イイ」と思い込まされているだけ、ということもあります。

 

 

人の意思決定は、「感情」の仕事です。

答えは、もう見つかっていますよ。

 

自由になりたいあなたへ

時間の主観と客観

 

現在この本を読んでいます。

ジョン・エリス・マクタガート:著、永井均:訳  『時間の非実在性』  (講談社学術文庫)

 

マクタガートの時間論を読んでみて、「時間の自由」を考えていました。

時間には2つの方向性があると思います。

1つを「主観的時間」、もう1つを「客観的時間」と名付ける事にします。

 

過去から現在そして未来への時間

「客観的時間」について先に説明すると、これは私たちが使う「時計時間」です。

 

例として、「日本史」を挙げます。

恐竜がいた時代から、氷河期を経て、縄文、弥生、・・・明治、大正、昭和、

そして平成という現在までの、日本における一連の歴史的流れです。

 

現在の平成という時代から見れば、昭和以前は過去であり、

また元号が変わる時は未来です。

 

さらに短い期間で言えば、

あなたが誕生してから死ぬまでの一生にも、

客観的時間が施されます。

 

その多くは社会によって決められたものです。

どこの都道府県で生まれ、どの学校に行き、どの会社に勤めて、親族に誰がいて…。

 

「あなた」が誰なのかを説明するには、

現在より前である過去について、これらのような事柄を説明する事になります。

そして、あなたの周りの人は、この客観的時間であなたを定義します。

 

あなたの中にある時間

上記の客観的時間とは別に、「主観的時間」というものを考えてみます。

「あなたが考える人生」とでも言いましょうか。

 

例えば、「客観的時間」であなたを説明する場合、

小さい頃から昆虫が好きで、大学では生物学を専攻し、生物学の学者をしているとしましょう。

もしあなたに初めて会う人がいれば、その人にとってあなたは「生物が大好きな学者の人」という認識になるはずです。

 

しかし、あなたの中の「主観的時間」は、このような外から見えているものとは全然違う意味を持っているかもしれません。

例えば、実は昆虫や生物が好きなわけではなく、背後に「あなたの父親」という大きな存在があるとします。

 

小さい頃は父親に無理やり昆虫採集に連れて行かれ、

父親が大学で生物学の学者をやっていてその道に来るように誘われたから、

今あなたも父親と同じように大学で生物学の学者をしているという「別のストーリー」があるのです。

 

あなたにとっては、生物学が云々ではなく、「父親と同じ道を行く」という意味で時間が繋がっています。

(…学者をするくらいなのだからそもそも生物がそれなりに好きじゃないと無理だろ、というやや現実的な視点は、置いておきます。)

「主観的時間」の意味が、「父親への親孝行」であるとも言えるわけです。

 

「主観的時間」とは、その人にとっての「人生の意味」です。

 

あなたが、生物学を研究するためではなく、父親への親孝行のために人生を歩んでいるとしたら。

もし本当にそうならば、ある日突然、全く別の違う職業に就く事になるかもしれません。

 

昆虫を見る中で本当に好きだったのは、昆虫の中でも特に「蝶々の色や形」だったとするならば、

画家の道を歩むようになる可能性もあるわけです。

 

これを傍から見れば、

「学者だった人が突然絵描きになった!」

と思うでしょうが、あなたの中の主観的時間は「蝶々の色や形」という共通項で繋がっています。

「主観的時間」とは、外部の人ではなく、あなたの心が決めるものになります。

 

2つの時間から自由を考える

ここまで「主観的時間」と「客観的時間」という2つの時間について述べてきましたが、

それぞれを「自由」という観点で見るとどうであるか、を最後に記します。

 

私は、「主観的時間」にも「客観的時間」にも、

その両方に自由から見たメリットおよびデメリットがあると思います。

 

まず主観的時間のメリットは、自分の「心」が基準のため、「いつでも変える事が出来るという自由」があります。

生物学者が絵描きになるように、自分の人生の意味は自分次第で変える事が出来、人生をどう捉えるかはその人次第であるという自由です。

 

ただし、主観的時間は、人の寿命に依存しています。

私たちの人生の期間は「有限」です。

 

平均寿命が伸びているとは言え、おおよそで100年間のみ、脳が動いている間しか、主観的時間は享受出来ません。

主観的時間は、私たちの脳が、人生あるいは日常に意味付けを出来なくなった時点で無くなってしまいます。

 

医学で「脳死」という言葉がありますが、まさにこれは人生という時間を、主観的時間として捉えています。

植物状態同然になり、主観を持たず、肉体の細胞分裂だけで生きている場合です。

周囲の家族にとっての「その人」や、社会的な「人」としての認識が、客観的時間の中で存在しても、

その人の心が定義する主観的時間は存在しません。

 

では、「客観的時間」のメリットとデメリット。

 

先にデメリットから言えば、なんと言っても、社会や世間に縛られてしまうという事があります。

あなたが幼少時の昆虫好きから生物学者になり、しかも大学教授にまでなっているとするならば、多くの人はあなたを生物学者としてしか見ないはずです。

特に直接影響を受けた父親や身近な人にとっては、あなたが画家になる事など予想も出来ないでしょう。

 

一方「客観的時間」は、主観的時間と違って寿命に依らず、無限の広がりを持っています。

人生約100年間、誕生から死ぬまでの間だけを考えると、その期間は限定的です。

しかし、人類の未来、地球の未来、そして宇宙の未来を視野に入れると、自由は大幅に拡大します。

 

自由を考える上で、「自分が死ぬまでにどう生きるか」というのは、あくまで出発点です。

より大きな自由には、自分だけでなく、人類全体や宇宙全体が包括されます。

 

「主観的時間」のメリットである「心」、そして「客観的時間」のメリットである「無限の宇宙」。

両者の時間のメリットから自由を考え、自由をより大きくしていけたら、と思います。

 

自由になりたいあなたへ

「今」は限りなく近い未来

 

あなたが、自分の将来について考えを巡らせているとします。

「自分のやりたい事は何だろう?好きな事は?挑戦したい事は?」。

沢山の問答が、頭の中を駆け巡っているかもしれません。

 

「本当にやりたい事」を見つけ出すのは、そう簡単ではないかもしれません。

大抵の場合、私たちが思いつく「やりたい事」とは「知っている事」です。

つまりは、「知らない事」は、「やりたい事」に浮かんで来ません。

 

江戸時代の日本は鎖国していて、外交がほとんど無かったため、

その頃の日本人の多くは外国がどういう所かを知りませんでした。

アメリカという存在を知らないのですから、アメリカに行きたいと思う人はそう居なかったでしょう。

 

しかし、学問に精通していた医者や文化人は、鎖国中も外国情勢を知っていたため、

当時でも海外留学をしたり交流したりしていました。

 

「知っている」か「知らない」かで、

やりたい事・好きな事・挑戦したい事は、簡単に変わってしまいます。

 

あなたが今考えている「やりたい事」というのも、

今のあなたが持っている知識や経験に依存しています。

 

ですから、将来的にやりたい事が変わる可能性もあり、

むしろやりたい事が変わらない方が稀かもしれません。

なぜなら、将来でもやりたい事が変わらないという事は、

知識や経験を新たに習得していないという事でもあるからです。

 

そんな人はよほど狭い世界で情報に触れずに生きているのです。

つまり鎖国状態です。

 

では、今、「やりたい事」を考えるのは無駄なのかと言うと、そんな事はありません。

 

例えば、今がお昼の12時00分00秒00だとします。

あなたが考えている「やりたい事」は、12時00分00秒00という「一瞬」だけのやりたい事ではないはずです。

たいていは、将来の事を考えているわけですから、数年単位だったりします。

 

もっと短く、今から数ヶ月にやりたい事とか、今月でやりたい事でも良いわけです。

さらに言えば、今日やりたい事、12時30分までにやりたい事、この1分間・・・30秒・・・1秒・・・。

 

どんどん時間を短くして切り取っても、

12時00分00秒00という「今」とほぼ同時に、

「未来」は訪れます。

つまり「今やりたい事」は、「限りなく近い未来にやりたい事」です。

 

遠い未来を予測して「やりたい事」を考えるのは、時に非常に難しく感じます。

しかし、「今やりたい事」を考えるのは、それに比べてはるかに楽ではないでしょうか。

大きな事でなくても、ごはんを食べたいとか、本を読みたいとか、走りたいとか、なんでも良いわけです。

 

これら一つ一つを、くだらないなどどスルーする事無く、丁寧に拾っていく。

そうすれば未来、少なくとも近い未来が見えてきます。

 

「今」とは、「限りなく近い未来」。

「今やりたい事」を大切にする事で、未来を創る事が出来るはずです。

 

自由になりたいあなたへ

傷つかずに生きるには

 

 

当たり前と言っては、当たり前なのですが、他人と自分は異なる人間です。

 

しかし私たちは、他人が自分と同じ感覚や考えでない場合に

「傷ついた」

「分かってもらえなかった」

「失望した」

と、自分が被害者であるかのように感じます。

 

 

特に、

他人と自分が違うのは当たり前だという意識を

持ちにくい時期というのがあります。

 

それは単純に言うと、

「弱っている時」

です。

 

世間に見放されるような辛い事や、

人間関係がこじれて自分の立場が危うくなった時、または失恋した時などは、

他人と自分の境界が曖昧になりがちです。

 

あるいは、生まれてからずっと長い間、

自分が「弱い」と感じている人も同様にいると思います。

 

他人の言葉に傷つくたびに、

世間・社会から一歩ずつ遠のくことで、

必死に自分を守ろうとしている人もまたいるはずです。

 

「傷つきやすい」人や、

またはリストラや失恋などの状態にある人は、

自分に共感し賛成してくれる人を強く求めます。

 

他人と一体になれなかった経験を何度も積み重ねるほど、

「どこかに自分を本当に理解してくれる人がいるはずだ」

という信念はより一層強くなっていきます。

 

 

話を元に戻しますと、

「他人と自分は別の存在であって当たり前」

この事実は未来永劫変わりません。

 

では、なぜ私たちは、

自分の味方になってくれる他人を

わざわざ求めるのでしょうか。

 

自分と同じような他人に出会う事は、言わば

「奇跡」

です。

 

その「奇跡」を求めて、

毎日群衆をさまよっているならば、

それはそれは疲弊してしまって当然だと思います。

 

「今日も分かってもらえなかった」

と肩を落とす日々が、生まれてこの方ずっと続いているのですから、

人生に嫌気がさしてしまう事も稀ではないはずです。

 

 

実は、「傷つく」の原因の1つに「愛情不足」があります。

あなたが他人の言動に一喜一憂してしまうのは、

自分の中の愛情が欠如しているからです。

 

先に上げた、リストラや失恋というハプニングは一時的な愛情不足を引き起こしますし、

また日常的に傷つきやすい人は恒常的な「愛情不足」に陥っています。

 

その理由についてはここでは割愛しますが、やはり親子関係にあると言えます。

 

しかしあなたが大人であるならば、

これまでの不遇な境遇に関わらず、

愛情不足を解消する事は可能です。

 

ポイントは、冒頭でも述べた

「他人と自分は違う存在である」

という当たり前の事を念頭に置くことです。

 

そして、他人は自分の代わりには絶対になりません。

だから、自分の中の愛情不足は自分で解決する必要があるのです。

 

まずは、「嫌な事を1つやめる事」です。

 

あなたが、自分の嫌な事をわざわざやるのも、

愛情不足を埋めるために

無意識があなたに働きかけているからに他なりません。

 

世の中には、嫌な事をやらずに生きている人が、

あなたが思っているであろう人数よりずっとずっと多くいます。

 

他人の言動に傷つかない人は、自分を削って誰かのために何かをしようとは決して思いません。

だから、いつも自分のためになる事を選択します。

もし他人と何か共通点があれば「奇跡」だと思っています。

 

それだけ、自分と他人には大きな境目があると分かっていながらも

他人だらけの中で生きていけるのは、

自分の中の愛情が自分を守ってくれているからなのです。

 

やりたくない事をやらないようになるにつれ、自分の中の愛情不足がどんどん解消されていきます。

愛情に満たされたあなたは、傷つかない、自由な人生を手に入れられるのです。

 

自由になりたいあなたへ