自由になるために我慢は必要か?

四角大輔『自由であり続けるために 20代で捨てるべき50のこと』

 

四角さんは、ニュージーランドに移住され自然と伴に暮らしている方です。日が昇ると伴に目覚め、また日が沈むと伴に眠るという生活をされています。

ニュージーランドで生きるという目標を糧に、15年間サラリーマン生活をし、激務に耐えながらも移住準備の貯金をし続けたそうです。周囲が高級車に乗ったり豪華なマンションに引っ越していく中で、ボロボロのワンボックスカーに雨漏りしながら13年間乗り続け、敷地内にお墓がある築40年の部屋に安いという理由だけで住み続けたと言います。

 

人に「ニュージーランドの湖畔で暮らしたい」と言っても苦笑される事が多かったけれど、それでも夢を実現する事は諦めなかった。そして夢を叶えるためにサラリーマンを続け、原因不明のじんましんを負ったり、ストレスから来る歯ぎしりで奥歯が割れ、駅のホームで意識を失う事もあったというエピソードも綴られています。

常識に縛られ、自分に嘘をつきながら、周りに合わせて我慢する事が「大人」なら「そんなのおかしい」とずっと思っていたそうです。一刻も早くこの場所から抜け出したいという気持ちでいっぱいだった、と。

 

夢を叶えるために我慢は付き物?

「自由」はよく、「老後に田舎暮らしをするために定年までは働いて貯金をする」だったり、「夢を叶えるために若いうちは修行をするべきだ」という発想で語られます。

本著でも、サラリーマン時代の苦痛な人付き合いや出世のための駆け引き、残業に継ぐ残業という一種の「苦行」に著者は苦しんだと記されていて、そういう生き方以外にも道はあるのだという思いが伝わってきます。

しかし、私たちはそういう「苦行」を通り抜けなければ、「自由」になれないのでしょうか?

 

どこか「自由」になれるのは選ばれし者だけなのだという空気が蔓延していて、何の修行もしていない若者が「自由になりたい」と言うのは間違っているという一般的認識がある気がします。

また、「かつて辛いを思いをしたから今がある」といった「苦労話」が人の成功に付きまとう場合もあります。

私たちはいつからか、苦労をしていない人は自由になれない、自由になるためには苦労しなければならない、とまで「自由になるのは難しい事だ」という意識に刷り込まれているように思います。

 

「自由」になるためにはそれまでに辛い事を乗り越えなければならないのか、について、私の答えはNOです。「自由」は昔の苦労と引き換えに手に入れるような特別なものではありません、誰もが元々持っているものなのです。

 

「捨てる」ことで「自由」が見えてくる

本著では「捨てる」事の大切さが語られています。これは私のこれまでの経験からも大いに賛成するところです。

例えば、「アピールを捨てる」。

「できます!」「やります!」と言う20代は確かに周囲に受け入れられやすいです。その仕事がやりたいかどうかではなく、「やる気」という姿勢を上司に見せる事で、やりたい仕事を手に入れる事をあわよくば…と願っているかもしれません。

 

でも、自分は「やりたい仕事」のために「やりたくない仕事」をしなければいけないのか。やりたくない仕事という苦行と引き換えに、やりたい仕事を手に入れるという思考は、「若者は修行すべきだ」という考え方と同じではないかと気づくのです。

本当にやりたい仕事のためにやりたくない仕事をやらなければならないのかを考えてみると、実際はそうでもないはずです。にもかかわらず無理だと思うのは、「ごめんなさい」「できません」という自分が周りから「能力がない人」だと見られるのが何だか嫌だ、気が引けるという気持ちが眠っているのではないでしょうか。

 

また、「人脈を捨てる」というのもあります。

「付き合いだから」という枕詞は、あなたを自由にするでしょうか。あなたが「人脈」で過ごす時間は、本当に過ごしたい時間なのでしょうか。

なじみの人が集まって話す話は、それぞれの愚痴や不満などの繰り返しです。各人が「自分がいかに自由でないか」を語り合うという、ネガティブな感情で繋がる事を絆だと勘違いしている執着関係のように感じます。

 

ただ昔同じ学校だったから、同じ職場だったからという条件だけで集まる人たちから離れてみると、驚く事があります。自分はこんなに「他人」に時間を奪われていたのだ、という事です。

「自由」になる人は目的を持って人と会います。なぜなら、人と会わずに一人で好きな事に没頭している時間は何よりも「自由」だし、その「自由」と比較しても会いたい人なのか参加したい場所なのかを常に考えるからです。

 

「自由」になると世界はあたたかい

「そんな生活寂しくないの」「かわいそう」と世間は問いかけてきます。まだ「自由」になりきれていないうちはそういう声に戸惑う事もあるかもしれません。

しかし「自由」を手に入れた人にとっては、そんな雑音は「自由になれなかった人の負け惜しみ」にしか聞こえません。自分が「自由」でないから、人を側において「自分が自由でないという不満」に付き合ってほしいだけなのです。

 

たしかに世間一般で「自由」を実現している人は少数派です。だから「自由」はそう簡単には手に入らない、手に入れるとしたら苦労しなければいけないという思い込みが多くの人を支配しています。

 

ですが、そういう思い込みは「捨てる」事によって一掃されるのです。一度身の回りの人、仕事、お金、モノから離れてみると、自分がこれまで「必要」だと思っていたものはなくても無くても何ともないと気づきます。

そして自分にとって本当に大切なものだけを厳選して生活してみると、ふとあたたかい気持ちが生まれてきます。「ああ、自分は元から自由だったじゃないか」、と心から思いが溢れてくるのです。

 

全てを「捨て」きったとき、あなたの中に隠れている「本当はこうしたかった」「かつてはこういう夢があった」事に気づくはずです。その沸き上がる思いがあなたの「自由」の正体です。

 

「自由になりたい、でも自分が何をしたいか分からない」というもどかしさは、「捨てる」事で解消されていきます。本当の自分が見えなくなっているのは、周りに「余計なもの」が沢山付いているからです。「捨てて」みると、宝探しのように、「自由」がひょっこり姿を現します。

 

色々「捨て」て「自由」になろう

あなたが「当たり前」「なくては生きていけない」というものを、少しずつ「捨てて」みてください。捨てるものはあなたが少しでも「嫌だな」を思うものです。

100%やりたい、というものでなければ捨てて何の問題もありません。大切なのはあなたが心からやりたい事であり、常にやりたい事をやれる環境に身を置くのが「自由」になる鍵です。