生きる希望と自由

 

パイサーン・ウィサーロ著,浦崎雅代訳:

『心が自由になる、初期仏教30の説法 タイの森スカトー寺 住職パイサーン・ウィサーロ師のお話』

 

今回で、上記著書の記事は3回目になります。

どれだけ話題が尽きないのかと思うほど、大変多岐にわたって「自由」を考えられる本ですね。

 

前回、「苦しみから自由が生まれる」という話をしましたが、今回はその続きです。

→前回記事

 

苦しみとは何か

人間が感じる苦しみは仏教では「四苦」と言われ、「生老病死」とされています。

1つ1つ分解してみると、「生まれる」「老化する」「病気になる」「死ぬ」ですね。

 

本著には次のようなエピソードがありました。

 

40歳くらいの男性が仕事をしていたら急に警察から電話があり、

「奥様が急に倒れて病院に行かれました。ICUに運ばれ、容態はかなり悪いです」と言われたそうです。

急いで病院に駆けつけたところ、警察からの連絡は間違い電話だった事が判明し、

奥さんはいつもと変わらず元気だったのでした。

男性はその日、いつもの一日と何も変わらないのに、とても幸せな気持ちで過ごしたそうです。

 

「いつも通り」

苦しみは、自分自身はもちろんですが、身近な人に起きた時にも影響を受けます。

 

この男性は、奥さんに「四苦」のうちの「死」に該当する事態が起きたと思い焦燥したが、

結果としては何も無かったため「幸せな気持ち」になったという事です。

 

 

私たちは、嬉しい事や楽しい事があって気分が上がるだけではなく、

悲しい事が起きなかったという「苦しみの回避」でも幸せを感じられます。

 

逆を言えば、「苦しみを出来るだけ感じずにいたい」という思いもあるわけです。

 

「四苦」に当てはめると、

「死」や「病」気にかからないように健康に気を付け、「老」けないためのアンチエイジングやトレーニング。

そして、この世に「生」まれると必ず「老」「病」「死」に直面し、苦しみと人生を供にします。

 

 

生きる事自体が「苦」を伴うものであるから、苦しみの発端は「生」であり

人生に苦しみはつきものである、と遠い昔に釈迦は定義付けました。

 

「どんなに避けたり対策をしていたとしても、

老い、病気、そして死はやって来るし、向き合わざるをえない時がある」

というのは、私たちが生きる上での宿命のように感じます。

 

 

苦しみとどう向き合うか

生きていると苦しみから逃れようと思っても逃れられない

というある種の「絶望」もまた、私たちを「苦し」めるかもしれません。

 

苦しい事は「四苦」のような大きな出来事だけでなく、私たちの日常にはびこっています。

毎日の仕事や、人間関係などで、嫌だなあと思う事は色々ありますね。

 

 

しかし、「苦しみから自由が生まれる」法則に関して言えば、

1つ1つの苦しみの意味をクリアにしていく事こそが「自由」のタネなのです。

 

自分が嫌だと思う事や望まない状態に流されて

苦しみをそのままに放置しては、

人生は辛いだけになってしまうと思います。

 

病を患った人が病気という「苦」を受け入れて「自由」になれるように

「そもそも苦しみは人生の前提だ」と捉え、

苦しみと喧嘩をせず、乗り越えていくべきです。

 

 

苦しみの乗り越え方は、他人から逃げや諦めだと言われるものでも良いと思います。

 

なぜなら、人生の前提が苦しみである以上、

苦しみを解決しなければ生きる希望を無くしてしまうからです。

 

 

私たちは「自由になりたい」と願います。

 

人生に苦しみは必ず訪れるものなのだから、

自分で何か対策を施さなければいつまでも「自由」にはなれません。

 

「苦」は、ハプニングではなく、日常です。

 

そして、

もしかしたら、

「苦」を繰り返し解決していった先に「自由の完成形」があるのかもしれません。

 

 

自由になりたいあなたへ