親友になって

 

パイサーン・ウィサーロ著,浦崎雅代訳:

『心が自由になる、初期仏教30の説法 タイの森スカトー寺 住職パイサーン・ウィサーロ師のお話』

 

→1回目記事「バースデーブルーという苦しみ」

→2回目記事「受け入れて自由になる」

→3回目記事「生きる希望と自由」

→4回目記事「長生きする秘訣?」

 

本著のレビューは5回目となります。

 

「生まれた意味」と「生きる意味」

パイサーン・ウィサーロ師は、私たちの生まれた理由について、

両親が導いたものであるという見解を示しています。

 

「私たちは幼いころ 保育園(あるいは幼稚園)には

自分から進んでそこに入ったわけではありませんね。

お父さん、お母さんがそこに入らせたわけです。

 

それは私たちが この世に生を受けたことと似ています。

自分だけで生まれてきたわけではありません。

父と母が 私をこの世に誕生させたわけです。」

 

「なぜ生まれたのか?」を

「両親が望んだから」と受動的に考えるのは、

多くの人がすんなり納得出来るのではないかと思います。

 

 

一方で、

「なぜ生きるのか?」は、他人よりも

自分が主体となって考えなければならない命題です。

 

「なぜ生きるのか?」に対する答えを見つけるためには

いったん「自分基準」で考える必要が出てきます。

 

 

「自分」という存在

私たちは生まれた時、母親の身体から別離する事を、否応なしに体験します。

 

赤ちゃんが生まれる時に「泣く」という行為は

医学的な意味として「呼吸を開始する」ためだとされていますが、

初めて母親から「離れる」事の象徴でもあるように思います。

 

赤ちゃんが、生後何か月もの間

母親とほぼ一心同体で過ごす事からも分かるように

人間には元々「一人」の耐性が全くありません。

 

 

しかし、成長とともに母親から離れるようになり、

だんだんと「自分だけ」でやる事が増えてきます。

 

一人で何かをする時には、辛い思いをする事もありますが、

本当に自分の思った通りに動くという喜びも感じるものです。

 

 

自分が「これをやりたい」という意志が芽生え始めると、

例えば一緒に遊んでいる友達と意見が食い違ったりして

「自分の意見」か「友達の意見」のどちらを選択するかという問題が出てきます。

 

集団生活の中では、

「人と仲良く」「思いやり」という他者を尊重する言葉が「善」となり、

「自己中心的」「身勝手」という自分を優先する言葉は「悪」のように対比されがちです。

 

 

このような善悪の倫理観を受けて育つと、

「自分のため < 他人のため」

という順位付けが、自然と身体に染み込んでいきます。

 

つまり、社会生活の中では「自分」が常に「軽視」され、

何をするにも他人に主導権を握られるようになってしまうのです。

 

 

「自由」の大前提

自分は後回しにすべき、という考え方のままでは、

いつも他人の事ばかりを気にするようになり

「なぜ生きるのか?」に対しても自分の基準で決める事が出来ません。

 

逆に言えば、私たちが「自由になりたい」と願うのは、

それだけ他人に支配されて生きているという事でもあるのかもしれません。

 

 

自分で自分の考えや感情が分からなくなってしまった時は、

きっと、他人目線の思考から抜け出せなくなっています。

 

もし何か悩む事があり、グルグルした思考から抜け出せなくなっているのであれば、

「自分は自分の親友」だという仮想設定をしてみる事です。

 

親友に聞いて「自由」になる

「私が迷っているという話を、親友だったらどう言うだろうか?」

「親友だったら、こんな辛い思いをしている親友を放っておくだろうか?」

 

一度、「自分の親友」という

心から懐を許せる人を思い浮かべて、対話をしてみます。

 

 

すると、自分が親友の立場だったら

もっと「自由」に生きてほしい

と思うような事が出てくるはずです。

 

 

「自分を大切にする」というのは、言葉では簡単に言えますが、

具体的にどうすれば「大切」に扱った事になるのか、

分かりにくいところがあります。

 

だから、「自分を親友だと思う」という

仮想ながらも客観的な視点を持たせるのは、

もともと他人を「思いや」ってきた人であればあるほど効果があるのではないかと思います。

 

「親友」という視点に立てば、

一時的に自分が他人になり、

それだけ自分に対しても「思いやり」が自然と生まれてくるはずだからです。

 

 

生まれたばかりの赤ちゃんは一人では何も出来ないけれど、

成長するに従って何でも一人で出来るようになります。

 

他人の意見に重きを置いてしまう人は

自分の中にある「一人で出来る」を無視して

自分を「何もできない」存在に仕立ててしまっているのです。

 

 

「自由」は「自分の事が自分で出来る」という事。

知らないうちに閉じ込められていた「出来る自分」が居ないかどうか

少し気にしてあげてみると良いのかもしれません。

 

自由になりたいあなたへ