卒業を宣言してみる

 

私たちは、

両親・友人・職場の上司・時には近所の人、など

沢山の人の価値観に触れながら日々を過ごしています。

 

あなたの価値観に最も影響を与えた人は、あなたの両親です。

 

幼い頃の、しつけや家庭環境によって、

あなたの根底の価値観が形成されました。

 

しかし、大人になるにつれ、

両親の価値観とは

だんだんズレが生じてきます。

 

両親の価値観以外で、初めて出会うのは、

友人の価値観かもしれません。

 

例えば小学校の同級生。

 

学校や遊びを通じて、

楽しい事や面白い事を知り、

あなたは親世代とは違う価値観を身に付けていったと思います。

 

しかし、小学生の頃は毎日一緒に遊んでいた友人とも

今となっては話が合わなくなり、

特に連絡する事も無くなったかもしれません。

 

 

過去の親しい人と疎遠になるのは、

あなたがその人から「卒業」したからです。

 

「人から卒業する」と言うと、

何だか薄情な人だと思われるかもしれませんが、

 

そもそもあなたの価値観が

他人のそれと全く同じになるはずは無いのです。

 

だから、

小学校では同じような環境で過ごしていたため共通点があった同級生も、

環境が違えば価値観も違ってくるのは当然です。

 

学校を「卒業」するのは、学習課程を終えた時ですが、

人を「卒業」するのは、価値観を別のものにシフトする時です。

 

 

もう1つ例を挙げるならば、

「憧れの芸能人の真似」。

 

これも、誰しも一度は経験した事だと思います。

 

憧れの人を真似するのは、

親の価値観ではなく自分が気に入った価値観を選択し、自分自身を作り上げていくという

一種の通過儀礼でもあります。

 

 

様々な価値観の取捨選択を何度も繰り返し行い、

出来上がったのが今のあなたです。

 

 

もしあなたが今、人生に行き詰まっているとすれば、

これまで取り入れてきた価値観が合わなくなっています。

 

ファンだった芸能人に対して興味が無くなる時が来るのと同様に、

価値観の取捨選択は、

人生で繰り返し行われます。

 

好きだった芸能人の情報を受け取らなくなり、

その価値観にさよならを告げ、

「卒業」を宣言する。

 

その宣言を行った瞬間から、

あなたは生まれ変わっているのです。

 

自由になりたいあなたへ

報われない努力

 

私たちが抱く願望として

「報われたい」

という思いがあります。

 

私たちはいつも、素晴らしい自分になりたくて、

日々勉強や仕事を一生懸命頑張ります。

 

「報われたい」という願望についてごく単純な例を話しますと、

・貧乏な人は、お金を稼いでお金持ちになれば報われるだろう

・デブと言われた人は、ダイエットで痩せてスレンダーに変身する事で報われるはず

というものです。

 

「貧乏」「デブ」というネガティブな属性から抜け出し、

「金持ち」「スレンダー」という世間一般的にポジティブな属性に変わる事が出来れば、

自分自身が「報われる」気がしますよね。

 

努力の種類

「努力」

と言うと、一見輝かしいように思えますが、

実は「良い努力」と「悪い努力」があります。

 

「良い努力」とは、その過程が楽しい努力です。

発端はコンプレックスであっても、自分を変えるために仕事やダイエットの1つ1つを楽しめる場合は、

それ自体に喜びを感じます。

 

一方、「悪い努力」とはその逆で、過程が苦しい努力です。

お金持ちになりたくてお金を稼ぐために働いているけれど、毎日毎日辛い事ばかり。

痩せたくて食事をだいぶ我慢しているけれど、なかなか続かなくて難しい。

 

自分のコンプレックスを克服する、という考え方においては、

コンプレックスが強ければ強いほどの努力に拍車がかかりますから、

物凄いエネルギーが噴出します。

 

時にはそのエネルギーが猛烈に自分を追い込んでしまい、

自分自身を傷つける場合もあるのです。

 

そして、「悪い努力」ばかりをし続けていると、

エネルギーはどんどん自己否定へと向かってしまいます。

 

努力の正体とは

努力を続けているつもりでも続かなかったり、

また何かを達成しても満足できない場合は、

悪い努力つまり「報われない努力」を選んでしまっています。

 

「良い努力」をしている人は、

世界一の金持ちになったら報われるのではなく、

仕事を通じてお金が溜まっていくのが報われる事を実感しているはずです。

 

ダイエットでも同様で、

人に心配されるほど痩せたら報われるのではなくて、

痩せて綺麗になっていくと自分が報われるのです。

 

自分の行動の過程には意味を見い出せない人、

目的を達成しなければ報われないと思う人、

今とは別の新しい世界を見たいと雁字搦めになる人。

 

もしあなたがそうだとすれば、「報われたい」の正体は

「根本的な自己否定」

です。

 

追い立てられるような気配の中で

「何か頑張らなければいけない」

と思うのは、否定に操られている証拠です。

 

あなたが本当に「報われる」状態

つまり”自由”になるにはどうしたらよいのか。

 

一緒に考えてみませんか。

 

”自由”になりたいあなたへ

 

負の感情は繰り返される

 

棚田克彦 『「心の自由」を手に入れる技術』

 

心理療法士である著者が、NLP(神経言語プログラミング)の原理に基づいて、

私たちが生きづらいと思う原因について解説しています。

 

具体的な方法というよりは、心が窮屈になってしまうメカニズムを

理論的に明らかにしている本です。

 

よって、本著を読んだだけで革新的な変化が起きるわけではないかもしれません。

 

日常を振り返るような気分で読んでみると、納得する部分があると思います。

 

 

冒頭で登場した印象深いフレーズがありました。

 

「私たちは普段、その場その場で状況を見ながら意識的に考えて行動しているように見えて、

実は、ある特定の状況で、同じような考え方や感じ方、行動のパターンを繰り返していることの方が

多いようです。」

 

「実のところ、私たち人間の心は、まるでコンピューターのように精密で正確な働き方をする

という側面を持っています。心の働きは決して何の必然性もなくランダムに起こっている訳ではありません。」

 

 

蓄積された負の感情が不自由の素になる

私たちが感じる負の感情は、

あらかじめ心の奥底に留まっていたものが

何らかの出来事をきっかけに表出しているだけなのです。

 

例えば、

パン屋さんにあんぱんを買いに行ったけれど売っていなかったとします。

 

欲しいパンが売っていなかったという事実一つに対しても、

どのような感情を抱くかは、人によって様々です。

 

心が自由な人は、「運が悪かった」と思い忘れてしまいます。

心が少し不自由な人は、「もっと早起きしていれば」と後悔します。

心がとても不自由な人は、「日頃の行いが悪いからだ」と自分を責めます。

 

 

パンを買えなかったくらいで自分を責める人は、そう多くないかもしれません。

 

しかし、仕事を頑張ったけれど昇進出来なかった

という経験の場合はどうでしょうか。

 

「ここがダメだったのか」、「どうすればよかったのだろう」、「あれが良くなかったんだ」・・・

など、思い悩む人は沢山いる事でしょう。

 

 

そうやって思い悩む原因となるのが、

「過去の負の感情」

だとされています。

 

起こった出来事の見方や解釈は、

自分が元々持っている感情によって、

「良い出来事」なのか「悪い出来事」なのかの意味付け(ラベリング)がされるのです。

 

 

感情と記憶

先ほどの例のように、同じ出来事でも、

「たまたま運が悪かった」と軽く考える人もいれば、「日頃の行いが悪いからだ」と重く捉える人もいるのは

その人独自の「考え方のクセ」によるものです。

 

私たちは、一人ひとり

この「考え方のクセ」というパターン

を持っています。

 

 

ではどうやって「考え方のクセ」が付くのか?と言えば、

幼児期に負の感情を経験した記憶

である事がほとんどだと言われています。

 

特に母親との関係が代表的ですね。

 

 

物心のついていない子どもは、

物事を筋道立てて考えるという事が出来ません。

 

そのため、例えば母親が背を向けたという経験があり

母親は食事の準備をしようとして体の向きを変えただけだったのに、

「母親を不機嫌にさせてしまい嫌われた」という負の感情として記憶化されたりします。

 

 

つまり、「昔の嫌な思い出」というのは、

実はかなり事実をねじ曲げて解釈したまま

頭に残っている可能性があります。

 

また、あなたが事実だと思っている過去の記憶が

本当に起こった事なのかどうかすら

正確には分からないのです。

 

実際、トラウマだと思っていた出来事を家族に話してみたら

自分の解釈とは全く別の出来事が起きていて、

しかもとても幸せな出来事だった事が判明したりします。

 

 

負の感情の正体

私たちは

「悲しい」と感じる出来事が起きた時、

ある出来事が起きたから悲しくなったのだと感じます。

 

しかし、その「悲しい」は、

あなたの遠い昔のよく分からない記憶の「悲しい」が

過去と同じような体験をした拍子に表に出てきただけです。

 

 

ちょっとしたことで落ち込んでしまうという人は、

過去の負の感情が何度も何度も強化されて

深く刻み込まれているのだと思います。

 

 

負の感情に振り回されないようにするために

何をすべきなのかについては

「過去の経験」を検証するところから始めると良いかもしれません。

 

 

もしあなたが紛れもない「不幸な出来事」だと思っていた事が、

本当は「幸せな出来事」だったとするならば、

少しは「自由」になれると思います。

 

自由になりたいあなたへ

親友になって

 

パイサーン・ウィサーロ著,浦崎雅代訳:

『心が自由になる、初期仏教30の説法 タイの森スカトー寺 住職パイサーン・ウィサーロ師のお話』

 

→1回目記事「バースデーブルーという苦しみ」

→2回目記事「受け入れて自由になる」

→3回目記事「生きる希望と自由」

→4回目記事「長生きする秘訣?」

 

本著のレビューは5回目となります。

 

「生まれた意味」と「生きる意味」

パイサーン・ウィサーロ師は、私たちの生まれた理由について、

両親が導いたものであるという見解を示しています。

 

「私たちは幼いころ 保育園(あるいは幼稚園)には

自分から進んでそこに入ったわけではありませんね。

お父さん、お母さんがそこに入らせたわけです。

 

それは私たちが この世に生を受けたことと似ています。

自分だけで生まれてきたわけではありません。

父と母が 私をこの世に誕生させたわけです。」

 

「なぜ生まれたのか?」を

「両親が望んだから」と受動的に考えるのは、

多くの人がすんなり納得出来るのではないかと思います。

 

 

一方で、

「なぜ生きるのか?」は、他人よりも

自分が主体となって考えなければならない命題です。

 

「なぜ生きるのか?」に対する答えを見つけるためには

いったん「自分基準」で考える必要が出てきます。

 

 

「自分」という存在

私たちは生まれた時、母親の身体から別離する事を、否応なしに体験します。

 

赤ちゃんが生まれる時に「泣く」という行為は

医学的な意味として「呼吸を開始する」ためだとされていますが、

初めて母親から「離れる」事の象徴でもあるように思います。

 

赤ちゃんが、生後何か月もの間

母親とほぼ一心同体で過ごす事からも分かるように

人間には元々「一人」の耐性が全くありません。

 

 

しかし、成長とともに母親から離れるようになり、

だんだんと「自分だけ」でやる事が増えてきます。

 

一人で何かをする時には、辛い思いをする事もありますが、

本当に自分の思った通りに動くという喜びも感じるものです。

 

 

自分が「これをやりたい」という意志が芽生え始めると、

例えば一緒に遊んでいる友達と意見が食い違ったりして

「自分の意見」か「友達の意見」のどちらを選択するかという問題が出てきます。

 

集団生活の中では、

「人と仲良く」「思いやり」という他者を尊重する言葉が「善」となり、

「自己中心的」「身勝手」という自分を優先する言葉は「悪」のように対比されがちです。

 

 

このような善悪の倫理観を受けて育つと、

「自分のため < 他人のため」

という順位付けが、自然と身体に染み込んでいきます。

 

つまり、社会生活の中では「自分」が常に「軽視」され、

何をするにも他人に主導権を握られるようになってしまうのです。

 

 

「自由」の大前提

自分は後回しにすべき、という考え方のままでは、

いつも他人の事ばかりを気にするようになり

「なぜ生きるのか?」に対しても自分の基準で決める事が出来ません。

 

逆に言えば、私たちが「自由になりたい」と願うのは、

それだけ他人に支配されて生きているという事でもあるのかもしれません。

 

 

自分で自分の考えや感情が分からなくなってしまった時は、

きっと、他人目線の思考から抜け出せなくなっています。

 

もし何か悩む事があり、グルグルした思考から抜け出せなくなっているのであれば、

「自分は自分の親友」だという仮想設定をしてみる事です。

 

親友に聞いて「自由」になる

「私が迷っているという話を、親友だったらどう言うだろうか?」

「親友だったら、こんな辛い思いをしている親友を放っておくだろうか?」

 

一度、「自分の親友」という

心から懐を許せる人を思い浮かべて、対話をしてみます。

 

 

すると、自分が親友の立場だったら

もっと「自由」に生きてほしい

と思うような事が出てくるはずです。

 

 

「自分を大切にする」というのは、言葉では簡単に言えますが、

具体的にどうすれば「大切」に扱った事になるのか、

分かりにくいところがあります。

 

だから、「自分を親友だと思う」という

仮想ながらも客観的な視点を持たせるのは、

もともと他人を「思いや」ってきた人であればあるほど効果があるのではないかと思います。

 

「親友」という視点に立てば、

一時的に自分が他人になり、

それだけ自分に対しても「思いやり」が自然と生まれてくるはずだからです。

 

 

生まれたばかりの赤ちゃんは一人では何も出来ないけれど、

成長するに従って何でも一人で出来るようになります。

 

他人の意見に重きを置いてしまう人は

自分の中にある「一人で出来る」を無視して

自分を「何もできない」存在に仕立ててしまっているのです。

 

 

「自由」は「自分の事が自分で出来る」という事。

知らないうちに閉じ込められていた「出来る自分」が居ないかどうか

少し気にしてあげてみると良いのかもしれません。

 

自由になりたいあなたへ

長生きする秘訣?

 

パイサーン・ウィサーロ著,浦崎雅代訳:

『心が自由になる、初期仏教30の説法 タイの森スカトー寺 住職パイサーン・ウィサーロ師のお話』

 

読めば読むほど考えさせられる本著ですが、今回で4回目の記事になります。

→1回目記事「バースデーブルーという苦しみ」

→2回目記事「受け入れて自由になる」

→3回目記事「生きる希望と自由」

 

長生きの秘訣

本著で紹介されている長生きの秘訣は、

「自分の居心地の良さを選択すること」

だそうです。

 

しかし、居心地を良くするためにしている行動が、

別の居心地の良さを阻害する原因になってしまう、

という事はよくあります。

 

例えば、快適な生活をするためのお金を稼ぎたいと思って仕事を始めたが

自分の趣味やプライベートに費やす時間が無くなってしまう、

というのは多くの社会人が経験する事ではないでしょうか。

 

お金によって実現できる便利な暮らしという「居心地の良さ」と

時間が十分にあるから出来る趣味などの「居心地の良さ」が、

トレードオフになってしまった。

 

このように「居心地の良さ」が一部しか達成出来なくなってしまうと、

ストレスや病気などの歪んだ形で私たちを蝕み

結果寿命が短くなる、と本著では説かれています。

 

 

居心地の良さを追求する

仕事とプライベートを考える上で「職業」は関係が深いです。

「自由」になりたい人にとっての「居心地の良さ」に

最も適した職業は何だろうかと考えてみました。

 

仕事という「外向きの自分」と、

プライベートという「内向きの自分」が、

お互いに犠牲にならずに共存する職業。

 

それは、「研究者」なのではないかと私は思います。

 

仕事とプライべートがちょうど中和する言葉として、「生きがい」というものがあります。

「生きがい」は、社会的使命の要素もあるけれど、自主的な願望も伴っている行動です。

 

この「生きがい」とは、広義の「研究」にあたるのではないでしょうか。

 

例えば旅行が生きがいの人は、旅行についての知識を物凄く持っているし

自らの経験も沢山積んでいるので、旅行という分野に圧倒的に精通した研究者であるはずです。

 

いわゆるオタクも、好きな事に対して執念を感じるほど知り尽くし

また徹底的に体験し尽くしているので、研究をやり続けているようなものだと思います。

 

ここで定義する「研究者」は、既存の学問分野の中で研究をする人だけには限りません。

グルメ家、アイドルの追っかけ、、。

 

研究の対象はとにかく何でもいいですし、特定の組織に依存する必要もないのですが、

自分が興味を持っている事に対してただただ純粋な気持ちで追究する研究者

になるのが、「居心地の良さ」を実現する職業ではないでしょうか。

 

居心地に妥協をしない

「居心地の良さ」が仕事とプライベートでトレードオフになってしまうと

「自由」の実現は遠のいてしまうと思います。

 

今、私は研究者として、

どうすれば自由に生きていけるかを研究しています。

 

現状では「居心地の悪さ」を感じるポイントは全くないのですが、

そのうち何か窮屈だと思う事に遭遇したら、「居心地が良く」なるように環境を変えたいです。

 

 

一度「居心地が良い」と思って決めた道だと、

途中で行き先を変えるのはためらいが生じる可能性もありますが、

もし「居心地が悪い」と感じるのであれば変更するべきだと思います。

 

就職や転職でもそうですが、入社する時点では、

当然やりたい事が出来る、夢を実現出来ると思っているはずです。

 

 

ところが、月日を経ていくと、

自分のやりたい事がその会社で叶えられないと判明したり

自分が描く夢そのものが変わって別のものになる事が少なくありません。

 

もしあなたが今、

「何となく自由じゃない」という不満を抱いているのだとすれば、

「居心地の悪い」環境に妥協して「居心地の良さ」を追求していないのかもしれません。

 

自分にフィットしない環境に身を置き続ける事は「居心地が悪い」のですから、

他の「居心地の良い」環境に移ることを検討すべきです。

 

 

「自由」がモットーでない人は、

「居心地の悪さ」が「あばたもえくぼ」のような愛着に変わり、

愚痴を言いながらでも現状を変えない事の方が幸せと思うかもしれません。

 

しかし、「自由になりたい」と思う人にとっては、

「居心地の悪さ」は「自由」でない原因になります。

 

 

「一度言った事は最後までやり通す」「地道にコツコツ継続」という考え方は、

「自由」を目指す人にとっては不要です。

 

なぜなら、

「盲目的な継続」が「居心地の悪い状態の継続」になりうるからです。

 

 

何かに迷ったり悩む事があれば

自分にとって「居心地の良い」方を躊躇することなく選択し、

「研究者」として興味のあるものを追求していくのがベストです。

 

 

自由になりたいあなたへ