長生きする秘訣?

 

パイサーン・ウィサーロ著,浦崎雅代訳:

『心が自由になる、初期仏教30の説法 タイの森スカトー寺 住職パイサーン・ウィサーロ師のお話』

 

読めば読むほど考えさせられる本著ですが、今回で4回目の記事になります。

→1回目記事「バースデーブルーという苦しみ」

→2回目記事「受け入れて自由になる」

→3回目記事「生きる希望と自由」

 

長生きの秘訣

本著で紹介されている長生きの秘訣は、

「自分の居心地の良さを選択すること」

だそうです。

 

しかし、居心地を良くするためにしている行動が、

別の居心地の良さを阻害する原因になってしまう、

という事はよくあります。

 

例えば、快適な生活をするためのお金を稼ぎたいと思って仕事を始めたが

自分の趣味やプライベートに費やす時間が無くなってしまう、

というのは多くの社会人が経験する事ではないでしょうか。

 

お金によって実現できる便利な暮らしという「居心地の良さ」と

時間が十分にあるから出来る趣味などの「居心地の良さ」が、

トレードオフになってしまった。

 

このように「居心地の良さ」が一部しか達成出来なくなってしまうと、

ストレスや病気などの歪んだ形で私たちを蝕み

結果寿命が短くなる、と本著では説かれています。

 

 

居心地の良さを追求する

仕事とプライベートを考える上で「職業」は関係が深いです。

「自由」になりたい人にとっての「居心地の良さ」に

最も適した職業は何だろうかと考えてみました。

 

仕事という「外向きの自分」と、

プライベートという「内向きの自分」が、

お互いに犠牲にならずに共存する職業。

 

それは、「研究者」なのではないかと私は思います。

 

仕事とプライべートがちょうど中和する言葉として、「生きがい」というものがあります。

「生きがい」は、社会的使命の要素もあるけれど、自主的な願望も伴っている行動です。

 

この「生きがい」とは、広義の「研究」にあたるのではないでしょうか。

 

例えば旅行が生きがいの人は、旅行についての知識を物凄く持っているし

自らの経験も沢山積んでいるので、旅行という分野に圧倒的に精通した研究者であるはずです。

 

いわゆるオタクも、好きな事に対して執念を感じるほど知り尽くし

また徹底的に体験し尽くしているので、研究をやり続けているようなものだと思います。

 

ここで定義する「研究者」は、既存の学問分野の中で研究をする人だけには限りません。

グルメ家、アイドルの追っかけ、、。

 

研究の対象はとにかく何でもいいですし、特定の組織に依存する必要もないのですが、

自分が興味を持っている事に対してただただ純粋な気持ちで追究する研究者

になるのが、「居心地の良さ」を実現する職業ではないでしょうか。

 

居心地に妥協をしない

「居心地の良さ」が仕事とプライベートでトレードオフになってしまうと

「自由」の実現は遠のいてしまうと思います。

 

今、私は研究者として、

どうすれば自由に生きていけるかを研究しています。

 

現状では「居心地の悪さ」を感じるポイントは全くないのですが、

そのうち何か窮屈だと思う事に遭遇したら、「居心地が良く」なるように環境を変えたいです。

 

 

一度「居心地が良い」と思って決めた道だと、

途中で行き先を変えるのはためらいが生じる可能性もありますが、

もし「居心地が悪い」と感じるのであれば変更するべきだと思います。

 

就職や転職でもそうですが、入社する時点では、

当然やりたい事が出来る、夢を実現出来ると思っているはずです。

 

 

ところが、月日を経ていくと、

自分のやりたい事がその会社で叶えられないと判明したり

自分が描く夢そのものが変わって別のものになる事が少なくありません。

 

もしあなたが今、

「何となく自由じゃない」という不満を抱いているのだとすれば、

「居心地の悪い」環境に妥協して「居心地の良さ」を追求していないのかもしれません。

 

自分にフィットしない環境に身を置き続ける事は「居心地が悪い」のですから、

他の「居心地の良い」環境に移ることを検討すべきです。

 

 

「自由」がモットーでない人は、

「居心地の悪さ」が「あばたもえくぼ」のような愛着に変わり、

愚痴を言いながらでも現状を変えない事の方が幸せと思うかもしれません。

 

しかし、「自由になりたい」と思う人にとっては、

「居心地の悪さ」は「自由」でない原因になります。

 

 

「一度言った事は最後までやり通す」「地道にコツコツ継続」という考え方は、

「自由」を目指す人にとっては不要です。

 

なぜなら、

「盲目的な継続」が「居心地の悪い状態の継続」になりうるからです。

 

 

何かに迷ったり悩む事があれば

自分にとって「居心地の良い」方を躊躇することなく選択し、

「研究者」として興味のあるものを追求していくのがベストです。

 

 

自由になりたいあなたへ

生きる希望と自由

 

パイサーン・ウィサーロ著,浦崎雅代訳:

『心が自由になる、初期仏教30の説法 タイの森スカトー寺 住職パイサーン・ウィサーロ師のお話』

 

今回で、上記著書の記事は3回目になります。

どれだけ話題が尽きないのかと思うほど、大変多岐にわたって「自由」を考えられる本ですね。

 

前回、「苦しみから自由が生まれる」という話をしましたが、今回はその続きです。

→前回記事

 

苦しみとは何か

人間が感じる苦しみは仏教では「四苦」と言われ、「生老病死」とされています。

1つ1つ分解してみると、「生まれる」「老化する」「病気になる」「死ぬ」ですね。

 

本著には次のようなエピソードがありました。

 

40歳くらいの男性が仕事をしていたら急に警察から電話があり、

「奥様が急に倒れて病院に行かれました。ICUに運ばれ、容態はかなり悪いです」と言われたそうです。

急いで病院に駆けつけたところ、警察からの連絡は間違い電話だった事が判明し、

奥さんはいつもと変わらず元気だったのでした。

男性はその日、いつもの一日と何も変わらないのに、とても幸せな気持ちで過ごしたそうです。

 

「いつも通り」

苦しみは、自分自身はもちろんですが、身近な人に起きた時にも影響を受けます。

 

この男性は、奥さんに「四苦」のうちの「死」に該当する事態が起きたと思い焦燥したが、

結果としては何も無かったため「幸せな気持ち」になったという事です。

 

 

私たちは、嬉しい事や楽しい事があって気分が上がるだけではなく、

悲しい事が起きなかったという「苦しみの回避」でも幸せを感じられます。

 

逆を言えば、「苦しみを出来るだけ感じずにいたい」という思いもあるわけです。

 

「四苦」に当てはめると、

「死」や「病」気にかからないように健康に気を付け、「老」けないためのアンチエイジングやトレーニング。

そして、この世に「生」まれると必ず「老」「病」「死」に直面し、苦しみと人生を供にします。

 

 

生きる事自体が「苦」を伴うものであるから、苦しみの発端は「生」であり

人生に苦しみはつきものである、と遠い昔に釈迦は定義付けました。

 

「どんなに避けたり対策をしていたとしても、

老い、病気、そして死はやって来るし、向き合わざるをえない時がある」

というのは、私たちが生きる上での宿命のように感じます。

 

 

苦しみとどう向き合うか

生きていると苦しみから逃れようと思っても逃れられない

というある種の「絶望」もまた、私たちを「苦し」めるかもしれません。

 

苦しい事は「四苦」のような大きな出来事だけでなく、私たちの日常にはびこっています。

毎日の仕事や、人間関係などで、嫌だなあと思う事は色々ありますね。

 

 

しかし、「苦しみから自由が生まれる」法則に関して言えば、

1つ1つの苦しみの意味をクリアにしていく事こそが「自由」のタネなのです。

 

自分が嫌だと思う事や望まない状態に流されて

苦しみをそのままに放置しては、

人生は辛いだけになってしまうと思います。

 

病を患った人が病気という「苦」を受け入れて「自由」になれるように

「そもそも苦しみは人生の前提だ」と捉え、

苦しみと喧嘩をせず、乗り越えていくべきです。

 

 

苦しみの乗り越え方は、他人から逃げや諦めだと言われるものでも良いと思います。

 

なぜなら、人生の前提が苦しみである以上、

苦しみを解決しなければ生きる希望を無くしてしまうからです。

 

 

私たちは「自由になりたい」と願います。

 

人生に苦しみは必ず訪れるものなのだから、

自分で何か対策を施さなければいつまでも「自由」にはなれません。

 

「苦」は、ハプニングではなく、日常です。

 

そして、

もしかしたら、

「苦」を繰り返し解決していった先に「自由の完成形」があるのかもしれません。

 

 

自由になりたいあなたへ

 

受け入れて自由になる

 

 パイサーン・ウィサーロ著,浦崎雅代訳:

『心が自由になる、初期仏教30の説法 タイの森スカトー寺 住職パイサーン・ウィサーロ師のお話』

 

今回も、上記著者のパイサーン・ウィサーロ師の言葉から「自由」を考えます。

→前回記事はこちら

 

想定外に対する苦しみ

私たちは生きていると、大なり小なり自分の思惑通りでない事に出くわし、苦しみを覚えます。

 

 

前回話題にした「バースデーブルー」もそうです。

自分は祝ってもらえると思っていたが、実際はそうではなかったという

「予想と現実の乖離」に苦しみます。

 

 

バースデーブルーに限らず、思わぬ怪我、病気、失敗、また時として成功でさえも、

私たちは想定していなかった事態に対して戸惑いを感じます。

 

そういう唐突の苦しみについて

パイサーン・ウィサーロ師は、次のように述べています。

 

「自分にとって不満なことに遭遇した時 拒絶するかわりに心を新しく置いてみましょう。

あー、これは真実が起こってきている 起こるにふさわしいことなのだなあ、と

受け止めてみるのです。」

 

 

「気づく事」の効果

思い通りにならない事を受け入れるのは、とてもエネルギーを使います。

 

例えば、それまでバリバリ働いていた人が、突然病気になって働けない状態になってしまった時には

「なぜこうなったのか、どうすればよかったのだろう」

「これからどうすればいいのだろう」

と、考えをグルグル巡らせてしまい、なかなか現実を直視するのは難しいでしょう。

 

 

突然のショックを受け、過去のあれこれや未来の心配で頭がいっぱいになると

「思考」が自分を支配します。

 

 

「病気になったから思うように動けない」という不自由よりも、

「今の自分を受け入れられない苦しみ」の方が、私たちをより一層不自由にさせます。

 

そして、考え続ける事で現状から目を逸らし、今起きている現実に抵抗しようとするのです。

 

 

一方で、病気になった人が

「病気になった事は幸運だった」

と思える時が来ると、苦しみが消えて「自由」になる事が出来ます。

 

本著では、心臓病になった人が病気をきっかけにボランティアに目覚め、

病気になる前よりも大きな生きがいを持つ事が出来、

幸せな人生を送れるようになったという事例がありました。

 

病気になって喜ぶ人などいないと思うかもしれませんが、

病気をきっかけに自分の人生を見直し、新たな発見が出来た結果

その人が本当にやりたい事を出来るように変化するのは珍しい事ではないのです。

 

死に直面するような重い病気になった人が、病気を受け入れる事で

それまでの閉塞感を打開し、新たな人生を手に入れるケースは多くあります。

 

 

現状を打破して「自由」になるために

人は自分の想像の範疇を越える苦しみに出会った時、

時とともに「これは何かの啓示である」と気づく事が出来ます。

 

そして、起こったことに対して怒ったり落ち込んだりと激しい負の感情を持つのは、

真実を受け入れられずに拒絶しているからです。

 

バースデーブルーで現実を受け入れられない原因は、自分の基準ではなく他人の基準で生きているからですが、

「他人の言動にいちいち振り回されるのは、自分が納得する人生を歩んでいないからだ」

と気づくと、その人の生き方は変わっていきます。

 

そもそも、誕生日という自分特有のイベントが

人に祝われるか否かで良し悪しが変わってしまうのはナンセンスです。

 

特定の人に誕生日を忘れられていた事で、自分に無価値感を感じてしまったのならば、

「自分ひとりでは価値を感じられない」という事でもあります。

 

では、なぜ自分だけで価値を感じられないのかと言うと、

自分が価値を感じる日々を過ごしていないからなのです。

 

 

自分の人生は、先述した病気の例のように、「受け入れる」事の連続だったりします。

ですので苦しさも伴いますし、逆に病気になって初めて、自分のやりたい事が分かる場合もあります。

 

誕生日という出来事がきっかけでネガティブな気持ちになる事は、不本意だと思いますが、

その苦しみには新しい価値観が隠れています。

 

病気をきっかけにボランティアを生きがいにした人のように、

人に祝われなかった苦しみが、今とは違う生き方を示唆しているはずなのです。

 

 

そして、このように苦しみから新しい価値を見い出していくのは、

より自分を「自由」にするためだと思います。

 

何も苦しい事がなければ、わざわざ「自由になりたい」という希望は持たないでしょうし、

自分が不自由に生きている事にも気づかないからです。

 

苦しみを「受け入れ」て、その意味を考えていく度に、「自由」は広がっていくはずです。

 

苦しみから自由になるためのヒントはこちら

 

 

 

 

バースデーブルーという苦しみ

 

パイサーン・ウィサーロ著,浦崎雅代訳:

『心が自由になる、初期仏教30の説法 タイの森スカトー寺 住職パイサーン・ウィサーロ師のお話』

 

本著は、「自由」について考えるきっかけになる、大変意味深い本でした。

 

住職であるパイサーン・ウィサーロ師による「説法」が綴られているのですが、仏教に特化した物言いではなく、

人生相談のようなスタンスで書かれています。

1つの記事ではまとめきれないほど話題が豊富であったため、テーマごとに記事を分けて書いていきたいと思います。

 

今回は、「自分の価値」についてです。

 

幸せでない誕生日

昨今、自分の「誕生日」にストレスを感じる人がとても多いそうです。

→誕生日の自殺は1.5倍…「バースデーブルー」を知っていますか?

 

自分と仲が良いと思っていた人が、自分の誕生日を覚えてくれていなかったり、

誕生日当日に祝ってくれなかった事にショックを受ける人が多いという現象です。

 

 

バースデーブルーになる理由

人に誕生日を忘れられて、悲しんだり苦しんだりするのは、

誕生日を「自分の価値」と結びつけてしまうからです。

 

本著の著者パイサーン・ウィサーロ師は、誕生日について、次のように述べています。

「誕生日のプレゼントをもらえなくても、私の価値はかわらない。

誕生日を誰からも祝ってもらえなくても、私の価値はかわらない。

究極

自分の誕生日を自分で忘れていたとしても、私の価値は変わらないのですね。」

 

 

冷静に考えてみれば、誕生日を祝われなくても自分の日常には特に影響が無い、と分かるはずです。

誕生日は366日(閏年込み)のうちのたった1日ですし、

むしろその日をピンポイントに覚えている人の方が珍しい気もします。

 

ましてや自分の予定ではなく、他人の予定でもあるわけですから、よほど意識しておかなければなりません。

SNSで誕生日通知があるように、人の誕生日をずっと覚えていられる人はほとんどいないのだと思います。

 

誕生日は単なるイベントなのにも関わらず、祝ってもらえないと落ち込んでしまうとすれば、

「他人を軸に生きている」のが原因となっています。

「人から祝われる自分」「みんなが称賛してくれる自分」でなければ、生きている意味が感じられなくて寂しい、

という事だと思います。

 

誕生日をあなた自身と切り離して考えれば、

「忘れられている」のはあくまで誕生日という「イベント」だけであり、決してあなたの「存在」ではないのです。

 

他人に自分の価値を任せてしまっている

 

誕生日に祝ってもらえない事に落ち込んでしまうのは、普段から「人の視線」を基準にした振る舞いをしているからです。

バースデーブルーは、誕生日という「自分を意識するタイミング」で

人からどう見られているかをいつも以上に自覚するために、起こります。

 

また、

「私はあなたを祝ってあげたのだから、あなたも私を祝うべき」

とも言いたくなるかもしれません。

 

give and takeの考え方を意識している人であれば余計に、祝ってもらえない事が心に刺さると思いますが、

相手はそういう考えで生きていないという事の証明でもあるのです。

giveの目的が、自分が「得」をするためだと、見返りが得られなかった事を「損」だと感じます。

 

どんなに良い事をしても、その動機が、「認められたい」「称賛されたい」という気持ちだと、

期待通りにならなかった時に自分がやった事が無意味のように思え、

結果自分自身の価値が無いように錯覚してしまうからです。

 

あなたの価値という「自由」

世間では「人のために何かをするのは良い事」だと言われますが、何のために良い事をするのかはあまり語られません。

 

自分では他人からの見返りを期待しているつもりがなくても、

人に誕生日を祝ってもらえない時に、「なんで?」と疑問を抱いてしまう人は

いつも他人に対して期待を持っています。

 

そして、他人の動向に心を操られてしまうのは、自分の人生に価値を感じていないからです。

自分の人生に納得せずに生きている人は、自分を見たくないから、他人を見るようになります。

 

他人が祝ってくれない事によって、自分の価値が無いように感じてしまう苦しみは、

「自由」へ方向転換をする事で解消されていきます。

 

この続きは、また次回に話したいと思います。

 

自由になりたいあなたへ

ネガティブワードは言ってはいけないのか?

 

本田直之『自由な人生のために20代でやっておくべきこと[キャリア編]』

 

まず、この本は、私が思う「自由」の実現には役立たないものでした。所謂「読んで終わり」になる可能性がかなり高いと思います。

「自由」は実に聞こえの良い言葉です。巷では、日常から解放されたい人が、箸休めのために読む本が数多く出版されています。むしろ、そのような表面的な本が、9割方であるようにも感じます。

 

結論から言うと、「ネガティブワードを言わないようにする」のは、何の効果もありません。

よくある例が、「嫌な事を、嫌だと思わなければ、嫌じゃなくなる」みたいな事です。「嫌だと思わない」だけで本当に現状が変わるのならば良いのですが、必ずと言っていいほど自分の思い通りに前進する事はありません。

嫌な事に対して、頭で考えて嫌だと思わないようにしたところで、嫌な思い自体は消えずに感情として残ります。「三日坊主」という言葉に代表されるように、意識でどうにか出来るのはほんの僅かな瞬間だけであり、長期的解決には向かないのです。

 

そもそも一生安泰なんて無いと数字で知る

誰もが「自分の意志ほど弱いものはない」と感覚的に気づいているはずなのに、もっともらしい精神論を語るだけの本に対して期待しがちです。

本著の後半で紹介されているノウハウも、実現性の低いものばかりなので、とても役に立つとは思えません。ですが、本の前半に書いてある給与に関するデータはよくまとまっているため、いくらか参考になりそうです。

 

例えば、会社が優良企業でいられるのは30年という事実です。

私たちが社会人として働くのは、22歳から65歳までの43年間前後ですから、社会人寿命よりも企業寿命の方が明らかに短いという事が分かります。

終身雇用を前提として1つの企業で働き続ける事は、統計データから見ても無理な話なのです。多くの人が信じている、1つの会社に身を捧げるのが良いという信念は、幻想以外の何物でもありません。

 

また、平均年収は40代後半を境に下降している事が、厚労省の調査から明らかになっています。年収が上がっていくのは40代前半がピークで、それ以降は下る事はあっても上がる事は無いようです。

そして、65歳で退職を迎えた時に見つかる仕事は、大半が時給換算のアルバイトになります。定年までを会社一辺倒で生きてきた人は、平均寿命85歳までの残り20年間、下降の一途を辿る事になるのです。

 

ネガティブを意識している時点で負け

客観的データからも分かるように、一生安泰というのは有り得ない話なのですが、解決方法はなかなか明示されません。本著においても、具体論は幾つか列挙されていますが、即効性の無いものばかりです。

 

「思考停止ワードを禁句にする」として、①「~が悪い」②「~だからできない」③「忙しい」を言わないようにする、というノウハウがあります。

確かに、現状の不平不満ばかりを言うだけでは問題解決出来ないから、という理由は分からなくもないです。

 

しかし、脳の仕組み上、「ネガティブな言葉は言ってはいけない」と思うとますますネガティブな事柄にフォーカスしてしまう性質があります。「言わないようにしよう」と意識すれば意識するほど、むしろ嫌な現実に固執するような生き方になってしまうのです。

 

現状から抜け出すためには、今の環境とは全く別の、理想の状態を詳細にイメージして脳に記憶させるべきなのです。脳が理想を記憶する事により、その理想に向けた行動を取るように自然と働いてくれる、というカラクリがあります。

初めて聞く人にとっては信じられない話かもしれませんが、脳の記憶と無意識を上手く使えるようになれば、「自由」の実現は自動的に出来ます。

 

ネガティブワードは、意識して言わないようにするのではなく、「自然と言わなくなる」ような方法を実践する事で「自由」になれるのです。

 

自由になりたいあなたへ